ささえあたご山野草苑日記(旧:佐々江あたご山山野草苑準備ブログ)

南丹市日吉町上佐々江にて2018年夏オープン予定(早まりました)の山野草公園のブログです。準備中の様子やオープンのイベントなど紹介します。

2012.1.8 箕面国有林(明治の森)間伐5回目(新年1回目)

久しぶりに(数えると実に9ヶ月ぶりに)この箕面国有林に行った。前日に確認するべきだったが、いままでご一緒していた、K持さんが、今日はご用事で休まれた。そのことをわたしは京都駅まで行って、やっと確認した。いつも、現地の集合場所まで、JRの駅までK持さんに迎えに来ていただくという、大変厚かましいやりかたで、参加していたのだが、今回は、自力で(当然そうすべきなのだが)現地まで出向かねばならなかった。



一瞬、京都駅で、どの路線で行くべきか考えるため、あの地下鉄の改札の横にあるジューススタンドに思わず近寄り、250円のミルクストロベリーを頼み、飲みながら携帯のサイトで調べる。(このジュースはさすがに天然で美味しかった。高いだけある。)



最初に、箕面のこの活動地である勝尾寺に行ったときのことを思い出す。それは、たしか昨年の1月だったのではないか。。あれからもう1年経ったとは、すごく遠い昔に思えるが、逆に先月だったような気にもなる。



結局そのままJRで新大阪まで出て、大阪市営地下鉄と北大阪鉄道が乗り入れしている線で千里中央を目指すことにした。



千里中央からは、その昨年の1月と同じく、阪急バスに乗る。くねくねした山道を登り、勝尾寺まで行くのである。しかし、本数が何本もあるのか、気にはなった。もう集合時間に間に合うのは無理なので、昼までにつければいいと思い、それくらいは走っているだろうと推測した結果だった。



JR新快速は、京都駅から新大阪までたしか20分くらいで着く。昔、よくこの新快速を使い、緊急な荷物を新大阪駅まで取りに行ったことを思い出す。今はもうないが、昔、JRは、「新幹線便(レイルゴーサービス)」というサービスをしていた。このサービスは、東京駅に当日朝乗せると、確実に京都駅に夕方届くという便利なものだった。しかし、必ず駅まで送り手と受け手が行かなければならない。その不便さを余りあるメリットが、この便にはあり、けっこう安く、わたしたちは重宝していた。



なぜ、こんな便利なサービスがなくなってしまったのだろう。いまでは、ヤマト運輸が「航空便」で、発送当日に相手先に届く便をやっているのみである。(他の運輸会社も似た便はあるかもしれない)しかし、航空便は、日曜や祭日は飛ばない。
とくにこういった連休は、前にいた教育業の会社には、恐怖の季節だった。流通をはじめ、銀行やほとんどの業者は、休みダイヤか休んでしまうから、消耗品や両替を準備したり、事前の準備が大変だった。



今日も、三連休の中日ということで、人出が朝から多い。JRは、案の定新大阪まで座れなかった。新大阪はさらに人が多かった。(帰ってからテレビニュースで、例の平田容疑者が新大阪駅に現れ、顔を隠し歩いている映像を公開していたが、同じ場所を通ったことになる。。。)



地下鉄新大阪の券売機の前には、それぞれの機械にかなり人が並んでいた。えっ?と思ったが、どうも券売機の操作が難しいらしく、駅員が操作の説明に立っていた。それに入れた硬貨がもどってきたりする。駅員は、それを見て、ハイも一回入れてください、などと突っ込みを入れてくる。(言われなくてもわかっている、、)さて、その後どの線を選ぶ科など細かいボタンがパネルででてくる。乗りたい線のボタンを押して、待っているとパネルが変らない。おかしいなと思い、下を見ると、金額の書かれたボタンが並んでいた。



これは、たしかに、慣れていないと早く買えない、券売機だ。
操作パネルだけで券が買える、JRタイプの券売機とボタン式のほかの券売機との合体型だからだろう。どちらかのタイプだったら、もっとスムーズに買える筈だ。



券を買うのに並んだほど、地下鉄は混んでなかった。おそらく梅田方面なら、もっと混んでいたろう。



地下鉄では、ちょうど向かいの席で、ジーンズに帽子をかぶった兄ちゃんが、空になったボトル便を床に置きっぱなしで、あられもなく横たわり熟睡していた。車両ががらがらだったので、気にならなかったが、電車であれほど大胆に寝ている人を見たのは、30年位前に学生時代九州へ行ったとき、西鉄の車両で横になって寝ていた子供を見て以来だった。



この線は、地下鉄といっても、新大阪駅にあわせ、高架を走っているのである。ホームも階段を上がったところにあった。走り出すと、外から日差しが差し込んできて、明るくなる。天気はよいようだ。男はまだ目を覚まさない。そのうち終点の千里中央に着いたが、まだ寝ていた。



千里中央について、バス停を探す。以前、はじめてこの駅から阪急バスに乗るとき、大変苦労した。バス停は、たしかにたくさんあり、行き先により分かれていてわかりにくいのだ。(ちなみに京都駅も同様である。あれだけバスのターミナルが大きいと、観光に来た方は、途方にくれるはずだ)



今回は、最初から慌ててないうえに、場所もわかっているので、すぐに見つけ、バスの時間を見た。すると、集合時間に間に合うバスの一本あとのバスが、1時間もしないうちに来ることがわかった。バス停にはまだそんなに人はいない。何か飲み物を買ってこようと思い、近くにあるパン屋さんに行って、戻ってくると、荷物を持った人が何人かもう集まっていた。


バスは、始発で、ならんで乗り、発車するとき席は満員状態だった。やはり登山姿の人が多い。道は、山に次第に入っていき、カーブがきつくなり、窓からけっこう下に谷が見えた。相当高い場所に上っていく。自家用車では感じない高さだった。



さて、勝尾寺は、このあたりの名刹であるのと、お墓参りの方が多いらしく、新年だからか、この日はいつになくたくさんの車と家族連れの姿があった。駐車場がおそろしくたくさんあり、それぞれガードマンが入場整理をしている。こんな山の上にあるといえば、京都の比叡山延暦寺が、規模はかなり向こうが大きいが、感じは似ていなくもない。



現場である、箕面国有林は、勝尾寺の少し下にある分かれ道をたどっていくと入り口がある。入り口近くに、大きなドーム型の屋根のある休憩所と公衆トイレがあり、森林公園であることがわかる。(それ以外の施設はとくにないが、大きな樹木の前にネームプレートが施してあったり、色んな土地の色んな種類の松の木を一同に植林してならべている場所があったりする。(HPを探して見ます→http://kankou.minoh.net/02_01.html


バスの中で、この活動のリーダーの方に携帯メールをして、作業している場所を教えてもらった。この公園の林道の一番奥にいるとのことで、歩いていく。10分くらい歩いた場所に、谷があり、そこからチェンソーの音が響いてきた。近くで作業している女性に挨拶し、リーダーのYさんがいるか、聞いた。「そっちにおられますよ」と言われ、荷物を置いて歩いていくと、「久しぶり〜」とわたしを見つけて、Yさんから声をかけられた。


しばらく、Yさんからいわれ、この谷で作業されていたグループを手伝うことになった。谷川にはげしく間伐後かなにかでおそらく切り倒された杉の木の枝や幹が横たわり、水が見えなくなっている。そこで、その木をもてるくらいの長さに切り、岸辺に上げ、落ちないようにする作業だった。


Yさんいわく、この間の台風の被害で土砂ダムができてしまった奈良の南や紀州の災害を見て、倒木の危険さに気づいたとのこと。伐りっぱなしで、放置された木が、大雨で激流になった川に流され集積されると、ああいった危険なダムができるのだ。
なので、できるだけ、そういった事態を防ぐため、倒木の処理をきちんとしないといけない。


残念ながら、現在、間伐材は需要がない。しかし、間伐をしなければ、森が荒れてしまうので、わたしたちは間伐するのだが、そのあとは、それらの木をとりあえずは、地に返す、つまり腐らせるため、枝葉をきれいに取り、短く切り、木の根元に動かないよう寝かしておかねばならない。


伐っただけで、ほうっておくと、(そういう木がこの森にも意外とたくさん残っていて、おそらく半分以上、それら倒木の処理に作業が裂かれる)こうして谷川にたまり、ひいては、大きな被害を起こすといったことになりかねないのだ。
谷川にたまった木は、けっこう腐っているものもあったが、まだしっかりしていて、重たいものも多かった。大きめの木は、チェンソーでコマ切りにしてもらうが、そこそこのものは、てのこで木って、岸にあげるようにした。
森の作業と、田畑やおそらく庭木の作業は、基本は同じ、兄弟の作業である。


これらの作業のルールは、邪魔くさがらずに、まずは手にもてる小さな小枝や葉っぱから掃除する気持ちになることである。まず、うっとうしい枯葉をめくり、それを除去するという、一つの作業から、次の大きな標的が現れ、それを処理すると、今度はもう一回り大きな木を発見する。そうなったら、細かい枝葉はほうっておき、今度はその大きなものから処理する。


野良仕事の基本は、雑草刈だが、これも最初に目に付く足元の雑草から処理することから始めないといけない。どこからやろうか、迷っていては何もできない。そうやって手を動かしていると、なぜか次にやるべきことがわかってくる。
これらは、身体的な思考により、頭の中枢から発する指令とは別なルートから、要請される指示である。そして、おそらくこの身体的な指令に従うことが、野良仕事や山仕事の基本原則である。


(同じようなことを、内田樹先生が、東北震災の支援や対策について、ブログで述べられているので、一度読んで見てください。この「2011年の重大ニュースの(5)東日本大震災福島原発事故が起こった」の箇所に、大災害の支援というのは、脳の中枢(政府組織)を通さず、支援者(身体的な神経)を直接被災者(手足)につなげることが、スピード感のある復興に役立つとそこで言われています。→年末吉例・2011年の重大ニュース - 内田樹の研究室


昼休憩後の仕事も、同じような始末だった。しかし、今度は竹だった。竹の処理をするのは、わたしは初めてだった。


ここは、針葉樹の植林地であったのだが、おそらく放置されていたため、竹がにょきにょき生えだしたのである。それで、それ程大きな面積ではないが、けっこう小さな竹やぶに成長していた。


全国各地の里山や放置林で、竹がはびこりだしていることは、新聞やニュースで時たま取り上げられている。竹は、強い樹木で、放っておくとどんどん領地を広げていってしまう。昔は、建材や竹細工の材料として、また「たけのこ」の畑として、重宝された竹、および竹やぶであるが、手入れしないと、いい建材やたけのこは取れないのだ。


よって、それらの竹は、(かわいそうだが、、)根絶させる。


Yさんは、竹を地上から1メートルあたりのところで、切ってくれ、とわたしと一緒に作業しているÅさんに指示した。そうすうると、しばらくすると、竹は根ぐされし、いともかんたんに土から抜けると言う。竹の根は、ご存知の通り、ひどく長く深い。萩原朔太郎も、詩に書いている。


しかしながら、もうすでに倒れている竹を先に始末していた。Aさんの、指示により、竹の枝も全部落とし、約4メートルくらいの長さで伐り、横に並べる。
この竹の枝は、つまり笹だが、枝打ちをするのがけっこうやっかいであった。節のところに生えるので、すごく強く硬い。竹そのものは、中が空洞だから、いともかんたんに切れてしまうのだ。特に青竹は、一気に切れて、爽快である。


そんなこんなで、立っている竹の伐採を後回しにしていると、ふたたびYさんがやってきて、「だまされたと思って、1メートルのところで、伐ってみて」と言いながら、自分で、率先して立っている竹を切り倒し始めた。


「Yさん、あとで伐ろうと思ってたんですが、、」と、内心苦笑しながら、斜めにゆがみながら、立っている竹を伐りはじめる。かなり風で倒れかけ、すでに傾いてているので、少し切り出すと、めきめきとのこをいれたところからわれ始め、すぐ横倒しになってしまった。時々、跳ね返りの竹で怪我をする人もいるそうだ。
「ちゃんと立っている竹やったら、伐りやすいんやけど・・・」と、Aさん。


Yさんが、容赦せず、バコバコと竹を切り倒し、結局立っている竹は、すべて倒されて。横たわった。。。


枝打ちし、細切れをしていると、そろそろ終わりとなった。(次回もこの後始末の続きをしなければいけないだろう、、)


ちなみに、竹を伐る場合は、節のすぐうえを伐ったほうがよいとのこと。それは、なぜかわかりますか?ヒントは、蚊です。


この日は、昼休憩のときに、恒例の皆勤者および出席回数多い順にくじ引きをし、参加者から寄付された様々なグッズを進呈すると言う、ここのもうひとりのリーダーM氏主宰のお祝い会があった。


わたしは、去年初めて参加しながら、くじを引かせてもらい、けっこういいものをもらった。→2011.1.9 箕面国有林の活動に参加 - 森林ボランティア〜初心者の体験記


今回は、皆勤者はおられず、1回欠席の11回参加者からくじ引きを引く。「豪華」グッズの数々をM氏がコメントしつつ渡す光景に、笑いがたびたび起こった。